こんにちは
若林かおりです。
ある集まりで、すごく悩んでいる方がいらっしゃいました。
(以下Aさん)
悩みはお子さんのこと。
うちの子はどうやら、あまり良くないみたいで。
先生にこんなことを言われて。
私はどうしたらいいのかわからなくなってしまって…
などなど。
Aさんの話を聴いていると、その関わっている《先生》がどうもAさんの悩みを増やしているような感じで、Aさんがとても気の毒に思いました。
余計なお世話と思いながら、少し勇気づけられたらと思い声をかけました。
そして、じっくり話してみると…
その《先生》がAさんを苦しめているというより、
Aさんが、自分で自分を苦しめているようでした。
と、いうのは、Aさん、《先生》から言われた言葉から、いろんな憶測しているんです。
私「自分の子が良くないなんて言われたら悲しいよね。」
Aさん「いえ。良くないとは言われていないんです。」
私「???」
Aさん「○○って言ったから、そういう意味かな…と思って」
私「そうなんだね。」
Aさん「何も言ってくれないから、きっとそういうことなんだろうな、って感じで。」
私「先生がどう思っているか、実際はわからないんだね。」
Aさん「でも、○○って言っていたので、そういう意味です。」
真実やいかに…
先生が言った言葉、態度は『ひとつ』
しかし、その受け取り方は、それを見た(体験した)人の数だけあります。
先生がどういう意図で言った言葉なのか、それは聞いてみないとわかりません。
発信側が発したもの
受け取り側が受け取ったもの
そこがズレることで起こるトラブルはよくあります。
というか、トラブルの大半はそのズレ。
ドラマとか映画を見ていても、私はもどかしくなります。
「そこ!なんで勝手に思い込んで殻に閉じこもっちゃうかな~!」
「聞こうよ!対話しようよ!」
私がこれまで経験した組織の中でも多少なり人間関係のトラブルがあったのですが、
これも、受け取り側の憶測、解釈の違いが原因。
そして、それが何人もの耳を経て聴いた話となると、伝言ゲームのように、事実からかなりかけ離れていることばかり!
しっかり聞こうよ!話そうよ!対話しようぞ!
とたびたび叫んでいます。
さて、話を戻しまして、Aさん。
Aさんにも、先生に聞こうぞよ!と思うわけです。
Aさんは、先生の言葉ひとつを自分の解釈によって自分を苦しめています。
あの言い方は、こういう意味だろうか、
あの言葉は、こういう意味もあるのではないか、
想像ばかりして、困っています。
ここ、Aさんの中に答えないですから‼
ないものを考えても答えは出ないですね。
発信側と受け取り側のギャップを埋めるには、対話しかありません。
簡単なことなんです。
「私はこんな風に受け取っていますが、正しいですか?」と聞いたらいいんです。
「それはどういう意味ですか?」と聞いたらいいんです。
簡単です。
と言いながら昔の私はそれができなかったけどね。
聞き返しちゃいけないような気がして。
遠慮して。
でも、もし不明なことがあるならば、お互いのために、ズレは修正した方がいいです。
はじめは少し勇気がいりますが、慣れてしまえば全然大丈夫。
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