こんにちは
若林かおりです。
小学校のマラソン大会…SNSでは、一生懸命走る子どもの姿に感動する方々の声。
本当にね、一生懸命走る姿に、自分の子じゃなくても感動しちゃう。
ですが、私は今回「もや~」っとしていました…。
と、言うのも…娘が頑張っていない‼‼
走ってはいた。最後まで走った。
けれども、友達と並んで後ろの方で走っていたのです。
それが、どうしても一生懸命とは見えない。
小学生の段階で、それで大丈夫か?!なんて思ったりしたのです。
で、もや~っとしている自分に何が起こっているんだろう?
と、心を覗いてみると…
私の中に、「子どものうちは一生懸命走るべき」
「苦しむ限界まで頑張らなければならない」
なーんて、おもいがあることに気付きました。
気付いたら、
いやいや、本当にそうだろうか?
と、自分に問いかけてみる。
苦しむまで頑張って、何を得て欲しいのだろう?
何を学んでほしいだろう?
苦しくとも頑張ったという自信?
何事も全力で取り組む大切さ?
それもあるけど…別の見方をすれば、
がむしゃらに、マラソンは辛いことだと割り切って、言われるがままに走るのではなく、
苦しくて、嫌なマラソン大会を、いかにして前向きに最後まで走るかを考え、
【友達とマイペースで走る】ということを編み出し実践した娘は、素晴らしいのではないか。
それもアリなのではないかな?
なんて思ったのでした。
既にある「子どもはこうすべきである」「これが当たり前である」
とか、
「これを学ぶためにこれがある」というものって、自然と私たちの中に埋め込まれていて、そうでないときに反応したりしますね。
与えられたもの、目の前に出た課題を、どう受け取り、どう処理するかは、子どもの自由。
そして、その自由さが、自分らしさを作っていくのだろうな。
自分の思い込み、固定観念に気付かせてもらったマラソン大会でした^^
この記事へのトラックバックはありません。